■ フライフィッシングという宗教
私にとってのフライフィッシングは、いつも間にか宗教のようなものになってしまった。
この趣味に出会い多くのことを学ぶことができた。
多くの魚を釣りたいとただそれだけでの時期があり、数、魚種、サイズと欲望の赴くまま数年を
過ごした。
釣行の範囲も徐々に広がりいつの間にか山にテントを持ち込む、釣果も徐々に上がりフィールド
の周りを見渡す余裕が数年後やっとできた。
やっと気付くことが出来たこの素晴らしい景観をカミさんに見せたくなり、フレームザックを背
負い二人ともバックパッカーに変身していた。
当然の如く衣類、靴と日常生活にもアウトドアウェアーを身に付けることが多くなり、部屋には
フィールドの写真があふれてくる。
いつかはログキャビン(当時はログハウスではなかった)、いつかは北海道、いつかはカナダが
20年ほど前の二人の夢だった。
FFを始めると当然対象魚の餌としての水棲昆虫に目を向けるようになる。
生態系、自然環境、気象、だんだんと知りたいことがエスカレートしてくる。
日常の生活にも気を遣い始めることになる。
今の里山のふもとでの生活、このスタートがフライフィッシングとの出会いから始まっていたの
だ。
フライの楽しみを100とした時、私の場合、実釣は20もないだろう。
タイイングや釣行計画など釣りに直接関係する部分が30、残りの50が私の場合日々の生活だ。
大袈裟といわれるかもしれないがフライで得た知識で物を計り、見極め、判断をしている。
単なる遊びではなく、私にはもう宗教のようなものになってしまっている。
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