今は昔

 この川には思い入れと、たくさんの思い出がある。初めてフライロッドを振ったのもこの川、アタリがあるのに全くフッキングさせられなかった。当時はまだタイイングの道具も買えずフライはすべて購入品、1日に10本以上も立ち木にフライを取られ悔しい思いをして帰った事もあった。当時のタックルはグラスロッド(7ft-#4)に、何故かこだわり続けたロイヤルコーチマン。8週連続の釣行にさすがにカミさんから苦情が出た事もあった。

 この川には現在も年1回の釣行を欠かしていない、20数年の間にだいぶこの川も様相が変わってしまった。あれほど豊かな水草も現在は殆ど見つける事ができない。豊かな水量と本当に陽気なブルックトラウト。
赤沼茶屋からエントリーし、ズミの花咲く季節の戦場ヶ原に立ち入り小さなブルックと遊び、穏やかな一時を過ごせる様になったのはフライフィッシングを初めてから10年程経っててからだった。

土地の人と仲良くなり「
ゴロッチョ針」を頂いたり、ボデー用のマテリアル材として川ネズミの毛を頂いた事もあった。いまでは土地の人たちでさえ「パーレット」又は「パーレットマス」とブルックを呼ぶ事も無くなってしまったようだ。自然繁殖が見られたブルック、今ではその殆どが放流魚のようだし。この川に50cmオーバーが居た事など今のアングラーには想像もつかない事だろう。

今は昔と嘆いてみてもしょうがない、現在の湯川、有りのままの湯川から目を離さずこの川を見続けなければならない、このような状態にしてしまった原因の幾分かは自分にも原因があるのだから。
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