湯川とブルックトラウト(和名カワマス)の歴史は、1902年5月2日にトーマス・B・グラバー氏がアメリカ・コロラド州から発眼卵を輸入し放流したところから始まりました。この事業に英国大使館職員のパーレット氏が輸入や現場放流に携わり以後地元ではブルックトラウトをパーレット鱒と呼ぶようになりました。この後何度かの放流を重ね、ブルックは湯川に定着し自然繁殖をするようになりました。
湯川は湯の湖とともに独立行政法人中央水産研究所(内水面研究部)の利用する研究水面と
して農林水産省が行政財産(試験研究水面)として管理しているという珍しい形態になっています。湯川と湯の湖の維持管理は全国内水面漁業協同組合連合会
(全内漁連)日光支所が委託を受け,研究協力業務の一環として釣り場の管理を行っていいます。一般の川は国が所有し漁業権を持った魚魚組合が管理しています。湯川は普通呼ばれる漁協ではなく全内魚連が維持管理を行っており遊漁場ではなく、遊漁に関する試験・研究のためのフィールドです。
2002年のC&Rが実施後湯川への放流は行われておりません。まれにホンマスやニジマスがつれることがありますが、ホンマスは湯の湖から落ちたものです。2000年まではニジマスの放流も行われてきましたが、今釣れているニジマスはホンマスと同じように、湯の湖から落ちたものと推測されます。
湯川は、一般の遊魚対象の川ではなく、養殖に関する調査研究の一環として釣り人に開放されている特殊な環境にあります。このため禁漁後や解禁前にある区域で行われる電気ショッカーによる資源調査を行います。捕獲されたブルックは年度により尾鰭の一部や胸鰭をカットし再放流さます。このため釣り人がこのような魚を見たときに粗悪な環境下で養殖された魚と誤解されることもあります。
湯川は湯の湖を主な水源として湯滝から始まり、竜頭ノ滝までの短い川です。湯川は下流で竜頭ノ滝から中禅寺湖の菖蒲ガ浜までの区間は地獄川とその名を変えます。
標高約1400mの奥日光戦場ヶ原の中を流れるたった11.2kmの川が湯川です。
湯滝から流れ出した水は、竜頭ノ滝ではその水量が2.5倍に増えているといわれています。主な水源の湯の湖も流れ込む川はなく、湯川はまぎれもないスプリング・クリークです。
湯滝から小田代橋までは木々に囲まれたライムストーンの渓相で、川底も砂利が殆どです。小田代橋から下流赤沼前付近まではチョークストリーム的な渓相に変わります。
湯川の水は濁っていると思われる方が多いようでが、この濁りの原因の一つが釣り人のウェーディングであることが以外に知られていません。小田代橋から下流域の川底は泥質の場所が多く、ウェーディングによりすぐ濁りがおきてしまいます。
早朝下流域に入り長い時間川を眺めていると、澄んだ湯川の流れが徐々に濁ってくるのが分かります。
ウェーディングはシューズが水草踏み、濁りは水草に付着したり又水の透明度を下げ水草の光合成を妨げます。
中流域の水生昆虫の多くは、水草や倒木を主な生息場所としています。
綺麗な水は水草を育て、水草は多くの水生昆虫を育てます。
湯川を土地の人は、「ゆがわ」と呼びます。湯滝も「ゆたき」ではなく「ゆだき」です。
児滝(こだき)は最近では小滝と表されることが多くなっています。
読みにくいのは泉門池です。「いずみやどいけ」と呼びます「せんもんいけ」ではありません。
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